中学校

中学校ではブラスバンド部に所属し、なぜかホルンを担当していました。(1つ上の学年に打楽器の人が多かったから?私の学年はパーカッションの募集がありませんでした。)

熱心な部活ではありませんでした。

のちの自分に影響してきた出来事と言えば、中学生の時に「アサヒキャンプ」というキャンプに参加したことでしょう。母が申し込んだもので、兄2人も中学生の時に参加していました。

このキャンプは健常児の小中学生が2,3人、障害を持った小中学生が2人ほどとボランティアの大学生1人が1つのバンガローで2泊3日を過ごす、というものです。

様々な障害を持った子がいました。手足が不自由な子、知的障害を持った子、視覚障害を持った子。最初は何をどうしたらいいのか分かりませんでしたが、2泊3日の間に少しだけお手伝いが出来るようになっていきます。

近所にも知的障害を持った同級生の男の子がいましたし、私にとって、障害を持っている人はわりと身近な存在でした。

大学生になり、初めての生徒さんも知的障害を持った小学生の男の子でした。(実は彼は20年ほどレッスンに来てくれました。)

中学生の私にとって、このキャンプは特に大きな出来事ではありませんが、いま考えてみるとこの時の経験は大きな出来事だったかもしれません。

高校生

5歳上の兄が名古屋市内の高校に通い、吹奏楽部に入っていた姿に憧れて、私も同じ学校へ入りました。私も吹奏楽部へ入り、今度はパーカッションを担当していました。

普通に部活動をし、普通に友達と遊び、ちょっと勉強をし、楽しい高校生活を送っていましたが、2年生の時に進路をどうするか?考えなくてはいけない時期にしました。

「え?進路??まだ早くない???」(早くないですけどね。)

「数学苦手だし~。理系はだめ。」

「え?どうしよう。」

と悩んだ私の答えは「特別支援学校の音楽の先生になりたい」というものでした。

「教育学部か音楽大学か?」

マリンバの先生にも相談しました。

先生は「さやかちゃんなら教育学部のほうが楽しくやれると思うよ。」

とのお返事でした。

「でも…。高校で吹奏楽部に入っていた割に打楽器が上手じゃない。打楽器の勉強がもっとしたい。」

という気持ちで先生に話し、音大受験することに決めました。

さあ、大変。

音大受験をするにはソルフェージュ、楽典など受験用の勉強として、やらなきゃいけないことが盛りだくさんです。音大受験する人たちはとても早くから準備し始めます。私は2年生の秋ごろだったので、遅い方でした。

いつもなんとなく、周りに流され自分の意志を持たなかった私はマリンバの先生に

「地元(名古屋)の大学が良いのか?東京に行きたいのか?」と聞かれ、

「どっちでもいい。」と。

先生には「どっちでもいいなら地元のほうが良いわよ。」と言われ、地元の大学を受験することにしました。

そんなこんなで(?←そんなこんなで片づける私・・・。)

名古屋芸術大学で4年間を過ごすことになりました。

(ちなみに、きちんとしたプロフィールはこちらです。)