木琴との出会い

保育園のお遊戯会で楽器の演奏をしたことがありました。

楽器を決めるとき、先生に「さやかちゃん、もっきんでもいい?」と聞かれ、

「いい。」

と答え、私は木琴になりました。そこから私の人生は始まりました!!

と言いたいところですが…。

その時の私の「いい」というのは「嫌です。遠慮しておきます。」という意味合いで答えたつもりでした。もちろん先生は「OK」と解釈され、私は木琴になりました。

当時の私はとてもおとなしく、先生に対して「ちがうの!私は木琴をやりたくないの!!」とは言えず、母にも言えず、仕方なくいやいや木琴を弾くことになりました。

ミスタッチばかりで思うように弾けません。そんなもの、楽しいわけがありません。

決して良い思い出ではなく、木琴とは良い出会いではありませんでした。

小学校の頃の習い事

小学生の頃はとてもたくさんの習い事をしていました。

ピアノ、習字、そろばん、バレエ、スケート、マリンバ。(同時に全部やっていたわけではないです。)色々させてもらいました。

特にバレエは男の子2人育てていた母は女の子に習わせたかったのでしょう。

「バレエ習う?」という母の誘いに対してなかなか「ウン」と言わなかった私ですが、バレエの発表会に連れて行かれたときに同じくらいの年齢の子が踊っているのを見て一瞬「いいかも」と思ってしまったのでしょう。母の作戦に引っかかり、バレエを習い始めることになりました。

通っているうちに、お友達も出来て、なんとなく楽しくなっていました。でも、最初が嫌々だったため、楽しそうな顔をするのはちょっと癪に感じていました。(なんてめんどくさい子ども!!)

発表会も1度出て(確か2年に1度発表会をされていました。)、トウシューズも履いてるし。もういいかな?と思っているころ、

「なんとかバレエをやめる方法はないか?」と私は考えていました。

そんなとき、見つけてしまったのです。

マリンバとの出会い

母が普段レッスンをしている部屋にグランドピアノとともにどーーんと置いてある楽器、マリンバに気付いてしまいました。(いやいや、前からちゃんと見えていましたけど。)

母は小さいころ、木琴を習っていました。

大人になってからマリンバを購入し、名古屋の栄までレッスンに通っていました。

私がマリンバに気付いたときには母はレッスンをお休みしていました。

「これだ!!!お兄ちゃんたちはやらないし。これでバレエをやめられる!!」

「マリンバをやりたいからバレエをやめさせて」と母に交渉したのが私がマリンバを始めるきっかけとなりました。

マリンバのレッスンは母が習いに行っていた名古屋の栄のお教室まで、1時間弱、電車と地下鉄を利用して母に連れて行ったもらいました。(レッスンで忙しかったのに、よく私に時間を使ってくれました。感謝してます。)

その時もレッスンの帰りにはアイスクリームを買ってもらっていました。

(食べ物につられて続けている私…。)

バレエの時もそうでしたが、「マリンバを習っている」ということはごくごく一部の仲の良い友達にしか話せず、友達にはほとんど話したことがありませんでした。

このころの私は人と違ったことをすることがとても嫌でした。

(余談ですが、同い年には「子」のつく名前が多いのですが、名前も「子」がつく名前に憧れてました。あ、今は「サヤカ」って名前、好きですよ。マジンガーZでもね。)

毎日、母のレッスンが終わり、母が1人で夕食を食べている横で私が練習するのが日課になっていました。私がピアノをマリンバを練習するのを母は習慣づけてくれました。(世の中のお母さんたち~!!習慣づけ、大事ですよぉ!!!!)

時にはおしゃべりばかりしてごまかすことも、こたつでたぬき寝入りして「今日は寝ちゃったわね、仕方がないわね。」と母が言うのを待っていることもありましたけど。

マリンバもピアノも特に上手でもなく、下手でもなく、何となく続けていきました。

(ちなみに、きちんとしたプロフィールはこちらです。)